死を受け入れる人

「どうでもいい」と言ってるときほど重大で「別に」というほど意識している。
「もう終わったことだから」と口を閉ざすのは現在進行形である証拠。
「もう終わったことだから」だからもう、これ以上は聞かないで。
裏のメッセージを読み解く。本音は隠れて見えてこない。
どうして本音を言わないの?あなたは素直じゃないんだね。そうじゃない。
お前だから言いたくない。お前を信用していない。だから言いたくないんだよ。
神経はいつも張りつめている。ビリビリする。死別は人間不信になる。
普通に接して欲しくても普通に家族の話しはできない、したくもない。
そんな暮らしになってしまう。本当は自分だって笑っていたい。
でも空元気。上っ面。心はもうここにはない。最愛の人の元にある。
もう触れられない。逢いたい逢いたい、子供のように駄々をこねる。
なくなって初めて気づくありがたみ。感謝と同時に無念でしかない。悔しい。
仏教の無念とは同じ文字なのに感情は正反対だ。
無念は仏語で迷いの晴れた心を指す。無我の境地。悟りの世界。
無念であれば苦しむことがなくなる。何事も思わなくなる。
残念無念のほうとはえらい違いだなぁ。私は雑念だらけだ。いつも悔しい。
昔は運動も勉強もお洒落もできずに褒められることが一つもなかった。
だから大きな声で歌い、そして絵を描いた。誰にも負けない何かが欲しい。
それが自信に繋がった。それでも簡単に自信なんてのは打ち砕かれる。
シカト、仲間はずれ。自分がこんな奴だから人として見られないんだ。
それでも負けたくない。イジメにあおうとも、やり返す。
と言ってもジッと耐えて見ないふり。
そして辛くないよアピールに笑ってきたってことくらい。毎日が悔しかった。
「こんなときお母さんがいたら相談に乗ってくれたかもしれないのに」
母親に助けを求めてしまう。そんな過去。父親には言えなかった。
お前がいけないんだと言われることが目に見えていたから話さなかった。
もうお母さんはいない。いつまでもメソメソするなと怒鳴られる。
そうか、わかったよ。もういいよ、もうあんたには何も言わない。頼らない。
もうお母さんいないんだもんね。仕方ないよね。じゃあ我慢するよ。
もうお母さんがいなくても「別に」寂しくないし、もう「どうでもいい」
もう死んでしまったからね「もう終わったことだから」仕方ないよね。
捻じ曲げた。諦めきれるわけがない。無念だ。でも認めたくなかった。
弱音を吐いたら何もかもが終わりだった。もう傷つきたくない。だから黙る。
自分のような人間を受け入れてくれる場所はない。人もいない。
だから環境の大切さに気づいた。
ここにいたらいけない。こんな人たちと付き合ってはいけない。
理解のある人は優しい。否定しない。人を傷つけない。必ず出会える時が来る。
私も人の辛さを理解できるような人でありたい。
今はそうなりたいと心から願う。