きみこいし

両親死別・未成年遺児のグリーフワーク体験記

期間限定「死別体験を哲学する会」
毎週土曜14:00-16:00 川崎にて開催中

きみこいし
since 2018.5.2 C. Hiro Meguro.
【告知】2018年8月17日(金)20:00
新宿Cafeラヴォア【イラスト交流会】
漫画家が教える!初心者OK!絵・イラスト好き
興味有・創作仲間作り・想いや心の中を形に・上達技術
詳しい人から話を聞いて知識を深めたり
おしゃべりを楽しむ会
申し込みはこちらから【お茶友の会
画材はコピックと色鉛筆を持っていきます。
わからないことがあれば聞いてください。
当日は宜しくお願いします!

死という言葉

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「疲れた~死にそ~」「あいつマジ死ね」「うるせぇ死ね!」
死という言葉を軽々しく使う相手にイライラした。
自分も学生の頃は平気で暴言を吐いていたにも関わらずイラついた。

 

母との死別は3歳の頃、幼い頃から親がいないのが当たり前だった暮らし。

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寂しくないわけじゃなかったけれど、忘れて暮らしていたところもある。
記憶の奥底で眠っていたような、封印していたような。
それでも小学生の頃はなんでもかんでもムカついてイライラしてた。
理由のわからない苛立ち。思い通りにいかない悔しさ憤り。
それでも我慢しなければという「れば思考」に囚われていた。
高校生で自由になって歯止めが利かなくなった。

「うるせぇ死ねよクソが!」スイッチが入るともう止められない。

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暴言は高校2年で父を亡くしてからも続いた。

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死別を経験していたはずなのに、死という言葉を平気で使いゲラゲラ笑う。
はたから見れば悲しそうに見えない。親が死んだのに平気で笑っている。

それもまた死別後の反応であったと気づいたのはずっと先のことだった。

あの頃の暴言も今思えば鬱憤晴らし。フラストレーションがたまってた。
「死ねマジ死ね!ゲラゲラゲラ!」
怒りの表現は言葉だけでなくて絵でも描いていた。

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とにかく出したかったんだと思う。
考えても答えなんて出ないから、とにかく動くしかなかった。
言葉にする力も未熟。言いたいことはあるのに言えなくて苦しかった。

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だから絵で描くことはできても漫画にすることはできない。
なんて言えばいいのかわからない。頭の中が真っ白になる。
言いたいことがありすぎてない。

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今はこうしてブログや漫画として文章化できる。
ただの愚痴で終わらせずに物語として描こうと客観視するようになった。

だから思う。暴言を吐く人たちは本人が思っている以上に怒りをためている。
どんなに笑っていても、陰口を叩いていても。
その人にとってはもうキャパオーバーで行き場がないのかもしれない。

漫画にも死や殺といった単語を使ったセリフはたくさんある。
攻撃的なタイトルも増えたような気がする。
怒りの表現。そんなふうに私は感じる。

過去にそうであった自分がいるだけに責めるに責めきれない。

ただ、今でも残念な気持ちになるのはギャグ漫画を読んだとき。
「死」という言葉をネタにして笑うキャラクターがいること。
そのシーンで一気に現実に引き戻される。
テンションの上げ下げ、落差が激しくてしんどくなる。

推理ものや残虐なシーンのある物語は死があるものとして見ている。
受け入れ態勢があるぶん、まぁしょうがないよな、くらいに見ている。
死はエンターテイメントになる。それは否定しないし、あっていい。
語弊はあるかもしれないが、感動ポルノ然り、それが現実だ。

それでも物語で死を扱うことで疑問をもつ。なんだよチクショウって感じで。
本当に言葉って大事だなぁ。今日の記事は自分への戒めです。